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旅行記 長野電鉄屋代線 廃線跡調査 (1/2/3/4/5/6) ←須坂方面へ 金井山駅〜松代駅 象山口駅〜岩野駅 岩野駅〜雨宮駅
屋代駅 後半が駆け足、かつ更新に1年以上かけてしまいましたが、2012(平成24)年5月の屋代線廃線跡の様子をまとめてみました。 この時点ではまだまだ廃止前と変わらず、線路が錆びていることを除けばいまにも列車が走って来そうな様子でした。 以下、個人的に思うところを書き連ねますがお許しください。 廃止・存続について地元の足並みが揃わず、かつ廃止決定後も廃線跡活用法―BRT化やLRTでの復活など―が決まらず「施設が置いてきぼりにされた」というように感じています。 個人的な感情を言わせてもらえば、廃止前数年の屋代線は確かに「廃止やむなし」という乗客数でした。余所者である旅行者にもわかるくらいに。 一方で"使いにくいダイヤ"もそのひとつです。須坂・屋代ともに接続は悪く、長野方面行きの川中島バスがあった松代でもお世辞にも良い接続とはいえませんでした。地域の交通ネットワークが物理的に結ばれているだけで、利用者目線では決して「ネットワーク」と言えるようなものではなかったように思います。 廃止後の代替バスも、朝間に松代〜須坂を高速経由で30分強で結ぶ便がありますが、屋代線なら各駅停車でも25分程度。どちらが真に便利なのでしょうか。 加えて狭隘な国道403号線の問題。千曲市と須坂市を長野市を通らずに結ぶR403は、狭隘な道幅に比較して大型車を含めた交通量が非常に多いという問題を抱えています。車で何度も走行していますが、集落内での大型車のすれ違いなどで流れは悪く、お世辞にもスムーズな通行ではありませんでした。そんな区間にバスが入るのですから、そりゃ大名行列にもなってしまうのは当然でしょう。 条件の良い道路(長野ICに接続する県道35号線)に近接する松代でのバス接続を中心として、長野市へ向かう旅客を誘導できなかったのが大きな原因でしょう。廃止直前には廃止のためのダイヤ構成だった、などという悪口も聞こえてきましたが、とにかく「ネットワークとして機能していなかった」のが要因でしょう。屋代線沿線の自治体の足並みが揃わなかったのも残念でなりません。「地域」というものが自治体レベルで完結してしまい、「河東地域」全体が見渡されていなかったように感じます。 行政としては自身の住民に利益をもたらさない事業に投資をすることはできませんし、それを認めない声だってもちろん上がるでしょう。しかしそうした考え・声が優先されてしまい「無関心」「消極的」「存続推進」とそれぞれが対立した結果、R403とい現代としては貧弱とも言える交通路しか持たない河東地域へと進んでいってしまった気がします。(あくまで現時点での狭隘なR403のままなら、ということですよ。充分な道幅でバスが退避できるような国道ならまだ機能するんじゃないでしょうか。) 書ききれないことはたくさんありますが、「長野電鉄だから」ということではなく交通ネットワークにおける大きな損失、という点で屋代線の廃止は私には非常にショッキングな出来事でした。ありがちな「サイクリングロード」などではなく、交通ネットワークの一部として有益に廃線跡が活用されることを願います。 2013.6.10 (1/2/3/4/5/6) |