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長野電鉄屋代線 廃線跡調査  (/////)
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金井山駅〜松代駅
金井山駅前から代替バスに乗車します。

案の定、R403はバスを先頭に大名行列状態。狭隘な2車線道路が集落を結び、特に集落内は建物がせり出ていて狭くなっているR403にバスを走らせることが無茶とも言えます。
左写真の金井山駅前の区間はかなりマシな広さです。

2012.5.4撮影
乗車したバスは松代での接続便。
松代でそれぞれ須坂・屋代へと折り返す区間便同士が接続するダイヤが組まれています。

我々の降車が済むとロータリーを使ってすぐに方向転換。屋代からの便が着いてすぐに出て行ってしまいました。

2012.5.4撮影
須坂〜松代便(奥)と松代〜屋代便(手前)の並び。

せめて同じ車線上に並んでくれれば、安全かつ速やかに乗換えができそうなものですが、相対して並ぶため一般車をやり過ごして道を渡る必要があります。

バス用インフラが整備されないままの運行では使いづらいですね。

2012.5.4撮影



象山口駅〜岩野駅
ここからはバスの中からの撮影。
R403と線路が山を回り込む区間で近接して並走します。



2012.5.4撮影
上と同じ区間で撮影した現役時代の様子。

屋代方に向かって5‰の上り勾配となっていました。

コンクリート製と鉄製のトラス柱が混在する架線柱が特徴的ですね。



2012.3.4撮影
上のカーブの先にある岩野駅。

現役時代も何回かこの駅前広場に入れず、車で素通りしてしまうくらい隠れるように建っていましたが、駅名標が外されるとますます駅だったことが分からなくなってしまいますね。


2012.5.4撮影



岩野駅〜雨宮駅
岩野〜雨宮間にある隧道。
上の写真の山が千曲川に突き当たるギリギリまで山肌に沿って走りますが、最後の最後「もう耐えられない」とばかりに隧道でショートカットします。Google Map等で見るとなんとかして隧道を短くしようとした先人の努力が伺えます。
並行する上信越道が同じ山を串刺しにしてトンネルで通過しているのが上から見るとなんとも印象的です。

2012.5.4撮影



屋代駅
屋代駅の跨線橋はロープでの封鎖になっています。

廃止後もこの屋代線ホームを利用したイベント(物販等)が開かれていますから、ロープでの封鎖になっています。
しかし床面が木造ですからいつまで利用できるかもわかりませんね。しなの鉄道の本線上である以上、危険性が高くなれば撤去も止む無しでしょう。

2012.5.4撮影
上りホームから見た屋代線ホームは現役と何も変わらず。ひと気のなさも現役時代と変わらずです(苦笑

待合室上には最終改正の時刻表が掲げられたままになっていました。

2012.5.4撮影

 後半が駆け足、かつ更新に1年以上かけてしまいましたが、2012(平成24)年5月の屋代線廃線跡の様子をまとめてみました。
 この時点ではまだまだ廃止前と変わらず、線路が錆びていることを除けばいまにも列車が走って来そうな様子でした。

以下、個人的に思うところを書き連ねますがお許しください。

 廃止・存続について地元の足並みが揃わず、かつ廃止決定後も廃線跡活用法―BRT化やLRTでの復活など―が決まらず「施設が置いてきぼりにされた」というように感じています。

 個人的な感情を言わせてもらえば、廃止前数年の屋代線は確かに「廃止やむなし」という乗客数でした。余所者である旅行者にもわかるくらいに。

 一方で"使いにくいダイヤ"もそのひとつです。須坂・屋代ともに接続は悪く、長野方面行きの川中島バスがあった松代でもお世辞にも良い接続とはいえませんでした。地域の交通ネットワークが物理的に結ばれているだけで、利用者目線では決して「ネットワーク」と言えるようなものではなかったように思います。

 廃止後の代替バスも、朝間に松代〜須坂を高速経由で30分強で結ぶ便がありますが、屋代線なら各駅停車でも25分程度。どちらが真に便利なのでしょうか。
 加えて狭隘な国道403号線の問題。千曲市と須坂市を長野市を通らずに結ぶR403は、狭隘な道幅に比較して大型車を含めた交通量が非常に多いという問題を抱えています。車で何度も走行していますが、集落内での大型車のすれ違いなどで流れは悪く、お世辞にもスムーズな通行ではありませんでした。そんな区間にバスが入るのですから、そりゃ大名行列にもなってしまうのは当然でしょう。

 条件の良い道路(長野ICに接続する県道35号線)に近接する松代でのバス接続を中心として、長野市へ向かう旅客を誘導できなかったのが大きな原因でしょう。廃止直前には廃止のためのダイヤ構成だった、などという悪口も聞こえてきましたが、とにかく「ネットワークとして機能していなかった」のが要因でしょう。屋代線沿線の自治体の足並みが揃わなかったのも残念でなりません。「地域」というものが自治体レベルで完結してしまい、「河東地域」全体が見渡されていなかったように感じます。
 
 行政としては自身の住民に利益をもたらさない事業に投資をすることはできませんし、それを認めない声だってもちろん上がるでしょう。しかしそうした考え・声が優先されてしまい「無関心」「消極的」「存続推進」とそれぞれが対立した結果、R403とい現代としては貧弱とも言える交通路しか持たない河東地域へと進んでいってしまった気がします。(あくまで現時点での狭隘なR403のままなら、ということですよ。充分な道幅でバスが退避できるような国道ならまだ機能するんじゃないでしょうか。)

 書ききれないことはたくさんありますが、「長野電鉄だから」ということではなく交通ネットワークにおける大きな損失、という点で屋代線の廃止は私には非常にショッキングな出来事でした。ありがちな「サイクリングロード」などではなく、交通ネットワークの一部として有益に廃線跡が活用されることを願います。

2013.6.10

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